 |
-
アムネスティ・インターナショナル日本 事務局長
寺中 誠 氏(写真上)
-
CSOネットワーク 共同事業責任者
黒田 かをり 氏(写真中央)
-
新日本監査法人 公認会計士
大久保 和孝(写真下)
|
アムネスティとNGOの活動をとおして
寺 中

アムネスティという国際的な人権擁護団体(NGO)の事務局長をしています。
これまでは拷問や投獄などの人権侵害にどう対応していくかが中心課題でした。
しかし90年代には、人権侵害は社会問題とつながっている、社会問題と無関係に人権問題の解決はありえない、ということで社会問題の取り組みを強めてきました。
21世紀に入ると、人権の問題を語るには企業との関わりを避けてとおれないということになり、社会問題を人権という枠組みの中で考えるようになりました。
こうした動きは「権利を基盤とするアプローチ」と呼ばれています。
アムネスティは、そのような考え方を推進している団体です。
大久保
日本ではどのような活動を展開しておられますか。
寺 中
世界で同じ活動を行うことが基本となっています。
例えば、「対テロ戦争」を理由に米国がキューバのグアンタナモ基地に拘束した人たちへの人権侵害があります。
これに関連して、「グアンタナモ、僕達が見た真実」という映画の上映も行っています。
大久保
日本の国内問題に対しては、どのような取り組みがなされているのでしょうか。
寺 中
例えば、入国管理の問題です。入管施設での処遇、外国人差別の問題。治安の問題もそこに含まれます。
今、世間では治安が悪いとか、犯罪が不安だという声を多く聞きます。実際に調査しますと、昔に比べると犯罪数は減っています。
ところが人々の不安だけは増幅しています。他人に対して厳しく当たるという動きも強まっています。
外国の方が、歩いているだけで警察に職務質問されるような差別も拡大しています。
大久保
黒田さんはどのような活動をされていますか。
黒 田
米国の民間財団で、東アジアのシビルソサエティ、ガバナンス、環境保全などに取り組み、地球規模の課題には、
政府・企業・市民セクター等がともに取り組むマルチセクターのアプローチが有効であると実感するようになりました。
その後、日米の枠組みの中で、教育、環境、保健、人道支援などのグローバルな課題解決のためにCSO(市民社会組織)
連絡会(現在のCSOネットワーク)を創設し、マルチセクター間の連携促進を図りました。
2000年に、当時の189の国連加盟国が2015年までに貧困を削減するというミレニアム開発目標を採択しましたが、
貧困問題に代表される地球規模の課題解決には、グローバル化の中で途上国への影響力をますます強大化している民間企業のエンゲージメントが
重要だと再認識し、企業の地球課題への取り組みに大きな関心を持つようになりました。
大久保
黒田さんは、つい先日、SA8000(労働に特化した国際認証規格)の認証団体に研修で行かれていましたが、どのような経緯があったのでしょうか。
黒 田
民間企業の貧困や人権への取り組みとマルチステークホルダー・アプローチについて知りたいと思い、
国際交流基金日米センターのNGOフェローシップに応募し、研修先に国際的な労働規格であるSA8000を策定・認定している米国の
SAI(ソーシャル・アカウンタビリティ・インターナショナル)を選びました。
大久保
米国はNGO活動の最前線ですから、貴重な理解が得られたのではないでしょうか。
黒 田
研修中は、途上国などの現場に行く機会はなかったのですが、SAIのプロジェクトに参加したり、社会や環境に関する
認証・基準等のインパクト評価の調査に加わったりしました。SAIのプロジェクト・ディレクターは、国際労働機関(ILO)やNGOで
労働者の人権に長く関わってきた人です。SAIのどの活動にも、「現場主義」と「働く人たちの人権」を中心におく彼女の視点が反映されていました。
CSRと経営課題
大久保
お二人はグローバルな視点を持ちながらも、国内の問題にも深く関わっておられます。海外の出来事は、10年くらいすると、
日本でも同じように社会問題化する傾向が見られます。そのような観点から、日本の国内企業が取り組むCSR活動に対するお二人の問題意識をお話しください。
寺 中
日本ではCSRを経営の“課題”として捉える向きが見られます。
課題と考えるから、CSRの何と何というようにまるで営業目標でもあるかのようにメニュー化しています。
環境や労働や人権という言葉も、企業の社会的責任の一環として、というよりはメニューの1つでしかないように思えます。
大久保
ご指摘のとおりで、CSRの本質的な理解がなされないまま、形式的な取り組みに陥っている企業も少なくありません。
社会からの要請が具体化されないまま、既存の概念や固定感の枠内で、とにかく担当部署を作る、ということを優先する場合があります。
寺 中
企業の活動が環境や世界規模の人権・労働状況に否応なしの影響を与えるということで、CSRは生まれました。
ある種の社会的な価値の再編のために登場したといってよいでしょう。全体的な課題をその企業がどのように考えているか、
ということが最初になければなりません。何をやるかは、その次の問題だと思います。現状の活動の多くは、企業の活動と無関係なこととして
やっているのではないでしょうか。
大久保
つまり、自社のまわりにどのような社会問題があり、それにどのように取り組んでいくべきかというところから議論を始めなければならないと
いうことですね。実際、CSRに取り組んでいる企業の担当者に、「御社を取り巻く社会的課題は何ですか」と質問をしても、なかなか体系的な
回答が得られないのも事実です。
黒 田

日本企業のCSRレポートを拝見すると、中にはCSR活動として選ばれたテーマが、その企業が社会や環境に与えている影響やその地域の
ニーズや課題にそれほど関連していない場合もあるようです。企業の社会的責任は、さまざまなステークホルダーとエンゲージしながら社会や環境
に与える影響を改善していくことだと思いますが、すべての企業が必ずしもステークホルダーと連携してニーズ分析や実態調査を実施し、
問題解決に取り組んでいるわけではないと感じます。
大久保
すなわち、各企業が、なぜ、そのテーマを取り上げたのかについて、社会全体という視点から明確に示すことが重要だということですね。
CSR報告書の作成に当たっても、自分たちが選択した課題への対応の結果だけしか記述されていないと、その企業がどのような社会問題に、
どのように応じたのかがわからず、都合のいいことだけ対応をしているという印象を持たれる可能性があるということですね。
守りではなく、攻めの対応を
寺 中
私の印象では、企業の取り組みは非常に防御的に思えます。何か言われたら「うちは悪くない」という答えがすぐに返ってきます。
それって自分たちの責任は認めたくないということですよね。100%悪くないということは、裁判にでもしないと問題解決できないということになりかねません。
大久保
頻発する企業不祥事を見ていても、不祥事を起こした企業はすぐに法的責任の観点から主張をしていますが、社会は、それだけでは黙っていません。
むしろ、各企業は社会的責任として法的責任を超えた責任を問われ、対応を迫られています。そのようなことが、各企業に法的責任以上の責任
が問われるのではという恐怖感を働かせ、企業活動を防御的にしているのかもしれません。
寺 中
法的責任はデリケートな問題です。何か問題があったら、まずしっかり謝ってしまう方がすっきりします。
大久保

企業といえども経営者は、一人の人間として、社会に対して真摯な説明責任を果たすべきです。それは司法の観点ではなく、社会からの要請という
観点から、自らの責任の所在と対応策を明確に示すことが必要ではないでしょうか。しかしながら、社会に理解を求めるためには、一朝一夕ではできず、日
常的な取り組みが大きく左右することも事実です。これまで不祥事を起こした企業の多くは、司法を理由に事実関係と説明責任を曖昧にし、
結果として必要以上に社会から不信感を抱かれているのです。
寺 中
重要なことは前向きな情報開示ができているかどうかです。その際、企業体質が決め手になるのかもしれません。
大久保
海外ではどのようなアクションになるでしょうか。
寺 中
CSRでよく問題になるのは、米国の外国人不法行為請求権法で訴えられるケースです。あるいは、損害賠償請求が起こされます。
普通はまず事件が起きてから、ある程度誠実に協議する場がもたれるわけです。しかし、そこで対応を誤ると問題をこじらせ、和解も調停もできず、
裁判しかなくなります。裁判になると勝っても負けても、企業ブランドに大きな傷がつきます。
大久保
裁判上の勝ち負けは、当事者(経営者)の権利の主張としては必要かもしれませんが、反面、社会からの要請とずれている場合は、
その企業が、当該経済社会で継続的な活動をしていくためには、むしろ、マイナス要因となるという例ですね。
司法の白黒だけを求めると、かえって傷口を広げかねません。
寺 中
法令遵守さえやっていればよいと思っている企業も少なくありません。肝心のCSRの意味をあいまいにしておくと、
法律さえ守れば社員は何をやってもよいということになりかねません。
大久保
日本企業は法令遵守の呪縛から、“それさえすればよい”という事なかれ主義を蔓延させ、その時々の社会のあり様を組織が感じ取れなくなって
います。この点、米国のグローバル企業は、海外での活動展開では、法的責任にとどまらず、経済社会そのものに価値観を見出しながら、現地の社会的
要請に柔軟に対応しているような気がします。
黒 田
CSRはグローバルな活動です。グローバルに展開している企業は柔軟にならざるをえません。90年代に 大手スポーツ用品メーカーのサプライヤー
において児童労働などの問題が露呈したとき、NGOや学生グループが厳しい対応をしました。それ以降、学生やNGOがそういう「問題」企業に対して、
国境を越えた不買運動、名前をあげた批判など、消費者を巻き込むネガティブ・キャンペーンを展開することはめずらしくなくなりました。
米国では、NGOが個人投資家とつながっているケースも多く、問題が起きるとその企業の株価にも影響が出るなど、NGOも企業に戦略的に働きかけをしています。企業価値が低下するとあって経営者も真剣に取り組まざるを得ないのです。
寺 中
環境省が2003年に日米英3カ国で投資家別の株式保有率を調査しています。米国は個人投資家の比率が高く、そこにはNGOなどの民間団体も
入っています。個人投資家やNGOの言い分を聞かないと資金調達もできません。英国は個人投資家の比率はそんなに高くありませんが、多いのが外国人
による株保有。海外の動向にものすごく鋭敏にならざるを得ません。日本の場合は、まず機関投資家。機関投資家がCSRに関してどういう風に
判断するかが資金調達上一番大きな問題です。日本ではNGOが株を持つことは抑制されています。この面では鎖国状態といってよいでしょう。