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工学院大学 教授
畑村 洋太郎 氏 (写真上)
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新日本監査法人 CSR推進部長
大久保 和孝 (写真下)
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不祥事という社会現象
大久保
CSRとは、ソーシャルイシュー(社会問題)をいかにビジネス(事業活動)に落とし込んだ活動ができるかどうかにあります。
そこで問題となるのは社会問題とは何かということ。昨今のわが国の経済社会では、頻発する企業の不祥事への対応が社会問題の1つとして
取り上げられています。今や企業不祥事は、個別企業の問題に留まるどころか、一旦、問題が生じると瞬く間に業界全体を覆いつくす問題になりかねません。
このような社会現象を失敗学の観点からどのようにご覧になっていますか。
畑 村

企業の不祥事もいくつかに類型化できます。本当は不祥事ではないのに不祥事にされているものと、明らかな意図をもって発生した不祥事の2つに分けられます。不二家や赤福の例は前者かもしれません。社会全体が形式主義になっており、社会の構成員がきちんと物事を考えなくなっているため、一昔前には不祥事にならなかったものまでが、「賞味期限」のように自ら設定した形式的基準を満たしているかどうかという理由だけでバッシングを受けています。他方、北海道で起きたミートホープの事件は後者に該当する事例です。儲けのためならなんでもやるという悪意が感じられます。現在の社会風潮の中で、こうした異なる企業不祥事を同一視して社会的な制裁を加えるのはいかがなものかと思います。
大久保
一旦、表面化すると、マスコミなどを中心に表層的な側面を捉えたバッシングが始まり、問題を大きくし、社会全体の標的として叩きのめす傾向があります。
畑 村
少し前に東京電力で原子炉圧力容器内の炉心隔壁に傷が見つかったという問題がありました。東電が自主点検で発見しながら、記録を改ざんし、
国に報告しなかったということで、社長が辞任に追い込まれました。原子炉にひびが入っていれば危険で、すぐに取り替えないと取り返しのつかない事故
が起きると考えがちですが、よくよく聞くと炉心隔壁とは原子力の外側と内側を隔絶して対流をうながすカーテンのようなものです。
問題となった傷程度では、原子炉の安全性に全く問題がありません。
畑 村
原子力の問題でいえることは、本来、危険なものをずっと安全だといい続けてきたところにあります。
危険だけど社会に必要なのだという認識を、社会ときちんと合意すべきだったのです。
大久保
原子力に関連した事故では、茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」の臨界事故も大変な問題でしたね。
37名の作業員が被爆するというわが国の原子力開発史上最大の事故となりました。
畑 村
あの事故はJCOが裏マニュアルにしたがって作業をやっていたのがけしからんという話になっています。動燃(動力炉・核燃料事業団。現核燃機構)
がJCOを使って作業をしていたのですが、短期間に過重な処理作業をやらせていたことが背景にあります。実は、最初は放射能の危険性を十分に分かった人間が、作業をはかどらせるために裏マニュアルをつくり、運用していました。ところが、コスト削減などの影響を受けて人員が半分になり、作業を熟知している人間が配置転換されたりして、放射能の危険性が認識されないまま、作業の効率だけを追求するようになりました。
その結果、柄杓(ひしゃく)で汲んでバケツに集めるというような不手際が生まれたのです。
そこでは、放射能や臨界に対する最低限の教育さえもできていなかったわけです。簡単にいえば、無知の連鎖ですが、事の本質を捉えず、形式を追いかけた結果だと思います。
形式に陥りがちな規則や規制
畑 村
大阪の遊園地でジェットコースターの事故がありました。あれは金属の経年変化による金属疲労が原因だといわれています。
超音波検査をやっていれば、それが分かったのではといわれていますが、これもウソです。現場で超音波検査をやっても見つかるものとは思われません。
第一、軸の隅から超音波を当てて検査しその変化を知るには、検査をやり続けなければいけません。問題は、ジェットコースターを設置したときに、
明確な基準がなく、後からつくった法律や規則で裁こうとしていることです。遊園地の設備は、建築基準が適用されますが、ジェットコースターは高速で走る車両そのものです。自動車と同じように国交省の鉄道部門がきちんと対応すべき問題だったかもしれません。
大久保
なるほど。最近は問題が生じるとすぐにルールの強化を図って新しい規制が生まれます。事件・事故が起こるとルールをつぎはぎ的につくります。
ルールそのものも、現場の状況等を踏まえず、形式的に偏る傾向があります。
畑 村
最近、あるスーパーで建物とエスカレーターの間に人が挟まるという事故がありました。国交省は、頭がはさまらないよう三角の保護板というものを
考えました。ところがそれが本当に有効かどうかの検証はやっていませんでした。この事故では、アクリル板がエスカレーターの手すりよりもわずか2センチしか下回っておらず、法律のとおり20センチになっていなかったのが原因とされました。事故のあと、日本中のアクリル板が品薄になりました。実は、あの事故が起きる前に、私はエスカレーターの問題を検証しようとしていたのですが、検証前に事故が起きてしまったのです。そこで、すぐにNHK「クローズアップ現代」で「危険なすき間」というテーマで取り上げました。番組の実験では2センチ下か20センチ下かは関係なく、頭がぶつかるとどちらもアクリル板を跳ね上げることが分かりました。法律で定められた基準とは違う結論でした。すべての規則に実験の裏づけをすることは無理でも、少なくとも事故や問題が生じたら、実証実験の裏づけを取るべきです。
企業の社会的責任と‘安全’‘安心’
大久保
企業が対応すべき社会問題の範囲はとても広いものです。CSRを進めていく上で、各企業は社会問題を直視し、しっかり正面から取り組んでいかなければなりません。最近、経済社会に蔓延している不安感・不信感にいかに対応していくべきかという点で、‘安全’と‘安心’への取組みは、すべての企業が対応をしなければならない社会的責任となっています。
畑 村
‘安全’と‘安心’は同じ概念ではありません。安全は物理的な問題で、事故が起きない状況を指します。それに対して安心は、安全が担保されている状態です。ところが実際は、安全なのに安心でない場合もあります。例えば、食品業界の問題は、社会全体が賞味期限だけに依存して賞味期限という形式さえ守っていれば安心だとしています。私からすれば非常に安っぽい安心です。赤福を例にとると、「安全」だけど「安心」ではないことから社会的批判を浴びたといえます。企業の社会的責任で、「ウソをつくな」「法令を守れ」といわれますが、私からいえば表面的な捉え方です。実際の世の中では安全が当たり前で、安心感をもてるようにならないといけません。危険なのに安心だという行為は、一般的には詐欺と呼ばれます。企業も形ばかりの安心を追いかけると、いつの間にか会社ぐるみで詐欺師になりかねません。CSRやコンプライアンスには、常にその危うさが潜んでいます。
大久保
情報開示が叫ばれている中で、開示する情報の質が問われています。社会に安心をもたらすような情報開示を行うには、どうすればよいでしょうか。
畑 村
危険があるのに危険を知らせない、危険があるのに危険がないかのように伝える――どちらも問題です。安心を与えるというのは、どこまでが安全で、どこから危険を内包しているのかの境目をはっきりさせることです。ポツンポツンと危険があるのだとしたら、どことどこに危険があるのか、どんな形で危険が現われるのかを正確に伝えることが大切です。
大久保
安全の側面のみを一方的に伝えるのではなく、誤解を招かない程度に、マイナス的側面も開示することが重要なのですね。
畑 村
原子力の話でいえば、日本のエネルギーの4割は原子力で賄われており、生活に切っても切り離せないものとなっています。
ところがその原子力は非常に扱いにくいものであるため、人々を不安にさせるといけないということで、政治家が主導して安全だといってきました。
原子力の立地に取り組む電力会社の人たちは、実は危険なことを知っています。原子力に本当に関わってきた人たちは、「安全です」とか「大丈夫です」とはいっていません。このボタンの掛け違いをずっと放置したままできているために、問題がますますややこしくなっています。
大久保
ありていにものが言える、あるいは見るという社会でないといけませんね。
畑 村
例えば、地球温暖化にCO2がいけないという話があります。しかし、CO2をとるか、原子力をとるかという話になると、世界のエネルギー事情を考えると原子力という選択肢しかありません。原子力が危険なものであるならば、その危険といかに折り合いをつけるか、人々はもっと真剣になるべきです。世界では、日本の原子力発電所の信頼性はトップクラスです。日本が中心となって原子力に関わっていけば、むしろ地球への大きな貢献ができるはずです。